
志村けんさんが亡くなったニュース(2020年3月29日 死去)を聞いてから1日経った今日も志村さんのことを考えることが多いNaoです。
芸能界にも悲しみの声が響き、「天才!志村どうぶつ園」で約16年も一緒にいた「嵐」の相葉雅紀くんも「志村さんと過ごさせて頂いた時間は僕の宝物です。ただ、もっと一緒に居たかったです。。何もわからない僕の背中を押してくれたり、包んでくれたり。。志村さんの優しい笑顔が頭から離れません。」と悲痛の思いを語っていましたね。
志村けんさんのinstagram/インスタより
『スッキリ』ではハリセンボン近藤春菜が志村けんさん訃報の速報が入ると号泣し、見ているこちらもとてもとても悲しくなりました。
また、志村けんさんのお兄さんが涙を流して弟に対する思いを語っていた映像も流れましたが、目元が志村けんさんに似ていて、泣いている顔を見ていると志村けんさんが泣いているみたいな気持ちになって切なかったです。
個人的には
「好きな芸能人は?」
20代の頃からこう聞かれると「志村けん♡」と答えるくらい、志村けんさんの事が大好きでした。
バカ殿、ひとみばあさん、変なおじさん、スイカの一気食い。。もう誰にも止められないキャラと志村ワールドも大好きで。
子供からおじいちゃん、おばあちゃんまで多くの人に愛されていた志村けんさん。
名前を聞いていつも思い浮かぶのはあの笑顔。
優しい目とすべてを受け入れて優しく包み込むような笑顔。
あるインタビューで「お笑いを続ける理由は?」と聞かれ「人の笑顔とか好きなんでしょうね」と答えていらっしゃいました。
わたしも志村さんのあの笑顔が大好きです。
そんな志村けんさんですがテレビやインタビューなどで語った言葉や一緒に共演した方によるエピソードも素晴らしく心に残るものばかり。
あの笑顔と同じく、柔らかく深く響くその言葉からも学ぶことが多かったです。
目次
- 1 お笑いって基本的にあったかいもの
- 2 自分に正直に生きようよ
- 3 最初から全力でいかない奴はその時点で先がない
- 4 ずっと恵まれてみえる人はみな必ず努力している
- 5 常識なことをするには、まず常識を知らなきゃいけない
- 6 マンネリもある域に達したら立派なもの
- 7 おいしいところをゲストに
- 8 自分が納得いくまでやればそれでいい
- 9 金は後からついて来る
- 10 すぐ否定しないでまずトライしてみること
- 11 あくまでもサラっと自然にが基本
- 12 デキる人たちの行動パターンをとりあえずマネしてみる
- 13 良かった所を褒めてあげる事がとっても大切
- 14 お金は使わないと入ってこない
- 15 お金の使い方はまさにその人そのもの
- 16 お金は利を得るために使うもの
- 17 大事なポイントでは絶対に出し惜しみせずに使うべき
- 18 自分と同じレベルや自分でできるものにお金を出したりはしない
- 19 正直者は救われる。死ぬ時ぐらいは感謝して死にたい
- 20 ★世界レベルでウケる案を考えたのは志村けんさんだった!
- 21 まとめ
お笑いって基本的にあったかいもの
お笑いって基本的にあったかいものだと思うんですよね。人に勇気を与えたり、力になってパワーになるんで、まずそのパワーを自分の中で持ってないとダメだよってことですね。じゃないと与えられないし。(金スマで中居くんに「芸人さんお笑い目指している人たちに何かエールを」といわれた時に語った言葉)
そう思える志村さんの人となりが温かいなぁと思います。
自分に正直に生きようよ
みんなと同じだったら一番楽だろう。不安もなくなる。でも、その代わり個性もないってことになる。あいつは変わってる、と言われるのは光栄なことだ。1回きりしかない人生なんだから、自分の好きなように自分に正直に生きようよ。
志村さんの生き方をみてると正直に生きることの素敵さが伝わってきます。
最初から全力でいかない奴はその時点で先がない
自然体に見えつつもいつも全力投球で生きていたのかもしれませんね。
ずっと恵まれてみえる人はみな必ず努力している
いろいんな人たちを遊びの場で見てきた。思うのは、人生は不公平だってこと。若いときからずっと恵まれている人もいる。急上昇して急降下する人もいる。人生の後半にピークを迎える人もいる。ずっと恵まれない人もいる。人生というゲームの勝ち負けに一定の法則がないことは、これを見てもあきらかだろう。
ただし、ひとつ言えることがある。ずっと恵まれてみえる人はみな必ず努力していることだ。例外なくね。
きっと志村さんもその一人だったんでしょうね。
後に動画も付けましたが、「SWITCHインタビュー達人達 志村けん×Perfume」でインタビューで「夢があるときは貧乏も楽しめる」といっていましたが、志村さんは努力する過程も楽しんできたんじゃないかなって思います。
常識なことをするには、まず常識を知らなきゃいけない
お笑いに限らず、常識をバカにする奴に常識を超えたことは絶対にできない。
常識なことをするためには、まず常識を知らなきゃいけないんだよ。
基本的なことが改めて大事なんだと気づかされますね。
マンネリもある域に達したら立派なもの
マンネリって普段あまりいい意味で使われないけど、マンネリもある域に達したら立派なものだ。オレは偉大なるマンネリ=スタンダード・ナンバーだと考える。「バカ殿様」や「変なおじさん」だって、そのひとつじゃないだろうか。
だれもがわかりやすいビジュアル、大人から子供までが知っている殿様というテーマ、忘れられないギャグ。そして「そろそろ出るな」「いつものアレ、お願い」的な一貫性のあるスタンダード化された笑い。これを毎年、毎年、作り続けられれば、それは最高の仕事だと思う
マイナスに捉えがちなところも見方次第でプラスにできるということを教えてくれる一言。
同じことを何十年もやり続けて親しまれてきた志村さんだからこそ言える一言ですね。
おいしいところをゲストに
おいしいところをゲストに。それは僕のいつもの考えだ。
常に相手の事を思いやる志村さんの優しさがこんな言葉からも感じられますよね。
自分が納得いくまでやればそれでいい
自分の一生なんだから、自分が好きなことを思い切りやればいいと思う。
売れるか売れないか先のことは誰にもわからないけど、自分が納得いくまでやればそれでいいんじゃないか。
「もっと自分のしたいように生きていいんだよ~」と言ってもらえてるみたいで力が抜けて楽になる言葉ですね。
金は後からついて来る
「金は後からついて来る」という気持ちは子供の時からずっと同じでやるべき仕事をコツコツ積み重ねてゆく事が自ずといい結果(お金)を生むという考え方だ。だから自分で言うのもなんだけど金払いは相当いい方だと思う。お金で借りを作るのも嫌だし、ましてや面倒くさい揉め事は精神的に嫌だから「金で解決できる事ならば・・・」という性格。金について争うなんていうのは一番嫌いだね。付き合っていた彼女との別れ話の時にもお金に関してしつこくグズグズ言われたりすると「あーわかった、わかった」という事になって、ついつい払っちゃう。でも「お前って結局そういう奴だったのか」ってスーっと血が引くように冷静な気分になるから逆に後を引かない。
子供の頃、俺の住んでいた東村山のまわりはみんな貧乏だった。穴の開いた靴下はいていたりズボンにつぎあてしていたり。俺なんて親父のズボンを切ってはいたりしていた。今じゃつぎあて自体知らない人が多い。「何それ」って言われるのがオチだ。でも、だからって悲壮感漂う感じではなかった。
よくあるじゃない、子供時代の食うや食わずの生活がトラウマとなってお金をけがらわしいものと必要以上にさげすんだり、逆に金の亡者になったりする話。そんな人って不幸だよな。
お金はやるべきことをやってきた後にくる結果的なものでしかなく、お金に使われるのではなく、お金を使ってよりいいものを生み出したり、それによって人の性格など本質見ることができるよ!と教えてくれてるような気がする。お金の貸し借りでその人がどんな人か見えるという点では「そうそう!」と思う部分もありますね。
すぐ否定しないでまずトライしてみること
ビジネスマンだって会社帰りの飲み屋で友達に気楽に話したことが知らないうちに大金に大化けしている可能性だってない訳じゃない。
今じゃインターネットでもビジネスアイデアの売買が行われている。アイデアが売れる時代なんだ。ビジネス特許が取れるような独創的で画期的なアイデアとまではいかなくても、ちょっとした閃きがお金を生むかもしれない。
企業内起業家とかいってアイデア発掘に躍起になり出したビジネスマンたちもいるようだ。でもだからってあまり難しく考える事ないんじゃないの。お金になるアイデアというのは実は俺の「投稿ビデオコーナー」と同じで誰もが思いつきそうな事を人より鼻の差ぐらい先を見越して現実化すればいいんだ。
「鼻の差ぐらい」がポイント。それ以上先でもそれ以下でもダメ。
「あいつ発想はいいんだけどなぁ」って言われている人は案外多いけれど自分の発想をいかに現実的な方法に落とし込めるかも大切だ。
それにあの時ビデオがまだ一般に普及していないとまわりが言った事に俺が「確かにそうだよなー」って同調していたら実現していなかった。
何でもかんでもすぐ否定しないでまずトライしてみる事がアイデアを実現するためにはやっぱり大事なんだよな。
確かにいい発想しても現実に落とし込めなきゃもったいないですよね。まずは些細なことでもトライすること!大事ですね。
あくまでもサラっと自然にが基本
俺は昔からそうだけどコントを作る場合、かなりの下準備をするし、出来上がった後でも念入りに何度もチェックする。テレビを見ている人たちは俺たちが一瞬の笑いをとるためにまさかこんなに時間をかけて綿密に作っているなんて想像もしていないだろう。たった「アハハハ」のために、だいの大人が寝ないで考えているんだから。制作予算の割り振り(セット、出演者のキャスティング・・)に始まりネタのすり合わせまで、すべてがピタっとジグソーパズルのように適材適所にはまってこそ輝く笑いがつくれるというもの。それもこれもすべては完璧な下ごしらえがあってこそだ。
でも、その下ごしらえが相手に見透かされるようじゃ、全然いけない。苦労した跡がバレるようじゃダメ。あくまでもサラっと自然にが基本だね。
何を言いたいのかというと仕事に限らず何でもそうだけど「俺頑張りました」ってところが見えてしまうようではまずい。頑張ったとか努力したという事をことさら強調する奴がいるけど、それって手品ですぐさまタネあかしをしてしまうのと同じじゃないのか。
いとも簡単にやっているようで実はその裏で血のにじむような努力と完璧な準備があるからこそ金を取れるモノになるわけなんだから。
江戸前の鮨屋だって。こはだやアナゴなんかはメチャクチャ手間のかかった下ごしらえが必要だ。でも、いちいち「お客さん、これ仕込むのに何時間かかってると思います?準備の手順は・・・」なんてことをくどくどとカウンター越しに話し掛けたりはしないよな。そんな事をしたら粋じゃないし江戸前じゃない。涼しい顔して「なんてこたぁねーですよ」の素振りで握っているからいいんでね。
これも「私頑張りました」ってところを見せがちだけど、「なんてっことはないよ~」っとサラッとできたら素敵ですよね。こういう気取らないところ、いい意味で力が抜けてるところがなんだか志村さんらしい。
デキる人たちの行動パターンをとりあえずマネしてみる
頭で考えずに行動第一が身についたら今度はマネるという行動に出てみる。身近で言えば職場の中にデキる同僚や上司が必ずいるよね。そのデキる人たちの行動パターンをとりあえずマネしてみる。職場以外でも成功している友人のやっている事をそのままマネしてみる。
アマチュアバンドだって最初は自分たちの好きな歌手やグループの曲のコピーから始めるわけで端っからオリジナルを作って勝負している奴なんていないんだよ。マネが基本。マネを上手にできない人がそれを超えた独自のテイストを作り上げるなんて、かなり不可能に近い。
俺だって中学時代にビートルズのファンになってマネしようと一生懸命ギターの練習をやったけど結局あんまりうまく弾けなかった。だからミュージシャンはやってない。そういう事なんだよ。
マネして出来なきゃ、それは才能がない証拠。悲しいけど自分自身にケジメをつける事も大切だ。才能がない事はお金に結びつかないから早いとこその道は諦める。これが正解。マネの効用の第一は自分の適性をふるいにかける事ができるという事だ。
お笑いに関して言えば高校一年生の時、初めて見た米国の大物喜劇俳優ジェリー・ルイスの映画にすごく影響を受けた。彼の表情や細かい動きをマネして自分がどれだけうまくやれるか、随分と研究したな。結構うまくマネ出来たものだから自信を持っちゃって結局その方面の世界に足を踏み入れる事になった。上手にマネが出来るという事は自信に繋がるんだよね。自信は強い意思を生み、強い意思に支えられていい仕事ができる。
単純なモノマネだけでも仕事にはなるけど、それ以上のレベルには達しない。すごく似ている事は似ているけど、ただそれだけの事。コロッケが凄いのはモノマネにモノマネ以上のクオリティを加える事によって彼独自の世界を作っているところなんだ。
どこにもない独自性の高い自分の世界ってものが出来上がれば道は自ずと開ける。俺はそう信じている。
「マネの効用の第一は自分の適性をふるいにかける事ができること」という考え方って今までなかったけど、言われてみれば確かにそう!と納得。
自分自身の才能を見極めるいい方法かも!
良かった所を褒めてあげる事がとっても大切
ある日、こんな事があった。収録後の反省会を兼ねた「どうもお疲れさん」の飲み会で「今日のあのコント、ほんと大笑いしたな」って誰も俺に言ってくれない。しょうがないから、どうして何も言ってくれないんだと聞くと「だって志村さんなら、そのくらい当たり前だから」って答えが返ってきた。正直言って「いくら俺だって、いつもいつも、あのレベルのコント要求されたらつらいぜ」ってカチンときた。だからディレクターに「もっと俺を褒めろ」って言ったんだ。偉そうなつもりでじゃないよ、これは。
人間っていくつになっても、いつも褒められていないとダメな生き物だとマジで思う。褒められていると自信がつく。それで「次はこうやって、もっと笑いをとろう」ってレベルアップを考えるものなんだ。
日常のほんの些細な事でもいいから「俺はお前の事認めているんだよ」って言当ての良かった所を褒めてあげる事がとっても大切なんだと思う。
例えはきついけど、リストラされて失業した父親が娘さんから「お父さんはこれまで随分頑張ってきたじゃない。だから気長に次の事を考えればいいんじゃない」なんて声を掛けられたら涙モノだもんね。その一言で救われるんじゃない。明日への活力だって生まれてくる。
しかし中にはちょっと褒めると勘違いして妙な自信を持ったり天狗になったり威張り出す奴もいる。そんな奴は最終的に誰からも認めてもらえないゴーマンな人間だろうから放っておけばいい。
それとなぜか人の事を絶対に褒めない奴っていうのもいるよね。これって中途半端なレベルの連中に多い。変な自信やプライドが邪魔して歪んだ対抗意識を持っているからだろう。
人を褒める事ができるのは自分自身にゆとりがある証拠だと思うよ。逆に人を褒める事で素直な気持ちになれたりする。
褒められたことが活力になるって当たり前のことのようだけど忘れてたな。
もっと意識して褒めることしていこうと思う。
「人を褒める事ができるのは自分自身にゆとりがある証拠だと思うよ。」ってのも分かるなぁ~。
お金は使わないと入ってこない
どこの誰だか知らないけど「金は天下の回りもの」とはよく言ったものだ。お金は使わないと入ってこないというけど本当だと思う。使った以上に稼ぐというのが俺の考え方だから毎日頑張って稼がなければいけない。
以前アメリカの有名な超能力者エドガー・ケーシーという人が「人の健康で最も大切な事は排泄行為である。排泄行為が円滑に行われていれば健康を維持できる」と言っていたのを読んだ事がある。
口から食べたり飲んだりしたものが汗やオシッコ、ウンコとなって体の外に出るわけだけど、これが詰まったりすると体の具合が悪くなるわけだ。
食事として摂った物を体が吸収し不要なものは外に出す。この瞬間サイクルがうまく機能していれば人間、いつも健康らしい。
この考え方はお金にも当てはまる気がする。お金を稼いでお腹いっぱいになるまで溜め込み続けそれでも出さないで溜め込んでいくと色々なトラブルが生じてしまう。
体に取り込める量は限られているからそれ以上無理して取り過ぎると糖尿病やガンなどの病に冒されるのと同じでお金の健康も維持できなくなるという事だ。これは儲けた分は適切に配分しないと妬みや恨みを買ってしまうという事だろうか。麻雀だって独り勝ちの逃げ切りじゃ「仕方ないじゃん」と言ったって後味悪いよね。麻雀代はもちろんちょっと食事くらい奢れば「今日はやられたなぁ。またやろうか」という所に落ち着く。
勝負に問題がないとわかっていても、そこには割り切れない人間の感情が渦巻いていて、そのわだかまりの部分が利益の一部を還元する事で解消されて世の中ってうまくいくんじゃないの。
お金と人間の感情と、そのバランスをどうとるかをスゴク冷静に分析してみてるなと思う言葉ですね。
これ、個人個人いいサイクルになってくると社会全体の流れも良くなるような気がする。
お金の使い方はまさにその人そのもの
お金の使い方はまさにその人そのもの。一般的には誘った方が払うというのが常識だ。「志村さん、美味い店があるから今度行きますか?」と誘われ、いざ払う段にったらトボケている奴もいる。
でも「誘ったくせに何で払わないの?」と俺は言わないし、思わない。「お前って、そういう奴か」と思うだけで腹も立たない。
ゴルフは食事より金額が張るけど、もし俺が誘ったなら、全て払う事にしている。それは「誘う事=相手の時間を拘束している事」だからだ。
誘っていなければ相手は他の仕事が出来たかもしれないし好きな事がやれたかもしれない。それを自分の都合で付き合わせるという事を考えると最低限のルールじゃないのかな。
「誘う事=相手の時間を拘束している事」って本当にそうですよね。
相手の時間も大切に生きたいな。
お金は利を得るために使うもの
仕事で「これは絶対に必要だ」というもの、その中でも自分にとって最も大切なものだと自覚して、お金を遣っている事がある。(割愛)
俺は仕事に関して「お金は得るだけのものではなく、利を得るために使うもの」という気持ちをいつも持っている。(割愛)
どうしてそこまでやるかといえば俺の場合、より深いコントのアイデアが欲しいからだ。実際コントのアイデアなんて富士のわき水みたいに何十年もこんこんと湧き出てこない。だから彼の才能を必要としているわけだ。
もし「自分のために何にお金を使いましたか?」って聞かれたら言い方は悪いけど「仕事の質を向上させるために放送作家を一人囲いました」って答えるね。俺にとってみれば、それくらい意味のある有意義な金の使い方なんだよ。
(仕事の質を向上させるために才能のある放送作家にポケットマネーを使って個人的に仕事を依頼しているということを語った時の言葉)
お金は使ってなんぼ。しかも自分がやっていることの質を高めるために必要という考え方は潔いしカッコいいですよね。
大事なポイントでは絶対に出し惜しみせずに使うべき
人間だれしも得意、不得意があるのは当たり前だ。冷静な目で自分を見つめてみて自分の能力や価値を知った上で足りない所や不得意なところは他の人に協力してもらうなりお金を払ってでも補ってプラスにしていくのは大事な事なんだよ。(割愛)
俺たちの仕事はモノとして形のあるものじゃない。ま、ビデオっていう形に残る事はあるけど、その中で展開される一瞬の笑い、それを作るためのアイデアはコンピューターの中に組み込まれている半導体ぐらい重要なパーツなんだ。だから肝心かなめの部分、そこには金を惜しまない。
お金の使い方はもちろん人それぞれだ。でもここ一番という大切な時、大事なポイントでは絶対に出し惜しみせずに使うべきなんだよ。
自分が一番大事にしていること、それは人間関係だったり情報だったり学問だったりするだろう。その自分にとって絶対に必要なんだっていうものに、ためらう事なく大切なお金を使って欲しいんだ。
そして車だのバッグだのといった、いわゆるモノじゃない所にお金を使った時、本物の精神的満足が得られるんじゃないのかな。
昔から粋な人ってそんな無形の部分にたくさんのお金を使った気がするんだよね。無形なものの代表といえば人間関係。俺も人間関係まーるくいきたいから、夜の外交にも散々お金を注ぎ込んで、それなりに得たものはあったけど、ほとんどオシッコになって流れちゃった気がする。
(より質の高いレベルの仕事を求めて気心の知れた朝長にお金を払って協力してもらっていると語った時の言葉)
お金を使う時、とくにまとまったお金を使う時って(どうしようかな。。)って迷ったり、時には出し惜しみすることもありましたが、まずはそれが自分にとって「大事なポイントなのか」を見極めて、そこにお金という形でエネルギーを「込める」ってことが大事なのかもしれませんね。
自分と同じレベルや自分でできるものにお金を出したりはしない
物事にはすべて裏と表がある。昼と夜、黒と白、金持ちと貧乏、ブスと美人など必ず対極に位置するものが存在する。人間もそうだ。雇われる人と使う人、テレビ局側と視聴者などなど、枚挙にいとまがないほど例はあるけど大雑把に分けて「受け手」と「出し手」に分けるなら「出し手」の方が圧倒的に個性的だ。
本屋さんで陳列されている本や雑誌を買う人とそれを作る人いわば本棚に並べる側の仕事をする人とは明らかに違う。テレビの場合もそうだし映画だってそうだ。料理店だって同じ。
「受け手」の人は自分と同じレベルや自分でできるものにあえてお金を出したりはしないものだ。
以前、藤山直美さんに「俺って少し変わっているんですよね」って言ったら「テレビに出てはる人は少々変なぐらいが、ええん、ちゃいますかぁ。普通の人が普通の人を見とうないでしょ」と言っていた。芸能人やミュージシャン、芸術家や料理人をはじめ、いわゆるモノを作る側の人たちは普通とは違う自分たちの毒や狂気、センスの部分をウリにしているわけだ。
だから普通の何の変哲もない人間を商品として簡単に表舞台に出してはいけないと思う。最近は芸能人があまりに普通で軽くなり過ぎて俺から見れば「お前ら芸人じゃねえよ」と言いたくなる。
志村さんの仕事に対するこだわりが感じられる一言。
確かに。そこが末永く愛されて残る芸能人とそうでない人の差なのかもしれませんね。
正直者は救われる。死ぬ時ぐらいは感謝して死にたい
骨董品がそうだけど割れた壺や破れた屏風なんかを素人判断で直してしまった場合、そのままの状態の時よりも値段はグーンと下がってしまうらしい。いくら壊れていないように繕っても所詮は素人、プロが見ればバレバレなんだよな。だから変にいじくったりしないで、そのまま「これ壊れて
いるけど、この状態でいくらですか?」と最初から正直に言えばいいんだよ。正直者は救われる。俺の芸だって酔っ払いを演じるのでも自然に見えるようにするのが一番難しい。自然に見えるって事はそれが一番リアルな状態なのよ。
俺はそこに目を付けた。「自然にね」という簡単な姿が意外と難しい。人間いついかなる時も自然な振る舞いが出来ればOKじゃないのかな。妙な飾りや洒落た小細工はかえって逆効果という場合が人生には多い。
料理だって焼き魚を注文したなら分不相応な飾りや付け合わせはいらないし新鮮でおいしい素材だけでも十分。それをゴテゴテといろいろ飾っちゃうというのは客から見れば何がメインかわからなくなるし、それ以上に魚に自信がないんじゃないのと疑っちゃうんだよな。
だから素のままの自然体、下手な策なら策がないのが最善の策だと思うよ。普段から自然体で生きてる人間ってだいたいカリカリしていない。逆に無理してる奴は文句ばかり言ってる。
「死ぬ時も文句言いながら死ぬのかよ」って思う。せめて死ぬ時ぐらいは感謝して死にたいね。
だから志村けんさんはいつも自然体で笑顔でいるのかもしれませんね。
★世界レベルでウケる案を考えたのは志村けんさんだった!
仕事のネタに関しては肝心かなめの所なのでかなり細かい所までアイデアを考える。あれはドリフターズとは別に加藤さんと二人でやっていた「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」の企画打ち合わせでスタッフ全員で話し合っていた時の事。俺が「素人の撮ったビデオを募集して、それを紹介しながらコメントするっていうのはどう?」と提案した。
すると「ビデオなんてまだ持っていないんじゃないの」と全員否定的で、いとも簡単に却下されてしまいそうになった。確かに当時は家庭用ビデオが出始めの頃で普及率もイマイチという事もあったし、ましてや素人モノなんてレベルが低いという考えが根底にあった。でも俺は「絶対に受けるからやろうよ」と言い張って強引にそのコーナーを作ってしまった。そしたら何とその「投稿ビデオコーナー」は本当に人気が出てしまって「加トケン」の目玉コーナーになってしまった。
もちろん番組の評判も上々で視聴率もアップした。でもこれはそれだけにとどまらなかった。その後、そのコーナーのアイデアをTBSがアメリカのテレビ局に売った。しばらくしてアメリカ版の「投稿ビデオコーナー」が出来て全米でかなりの反響を呼んだらしい。するとこれがまた日本に逆輸入されて「アメリカ版おもしろビデオ」という形で日本でも放送されるようになった。
しかしもとはと言えば全て俺のアイデアだったわけだ。詳しくは知らないけど知的所有権によるアイデア料がかなりの額アメリカのテレビ局からTBSの米国支局に支払われているらしい。まわりから「あの時ちゃんと契約のサインを交わしていれば、今頃志村さん働かなくてもよかったのに」なんてよく言われるけどネタとして考えたアイデアを個人の知的所有権という形で契約するなんて当時には思いつきもしなかった。知的所有権がちゃんとした財産なんて考え方が広く一般に認知され出したのは最近の事じゃないのかな。
昔はアイデアに対してお金を支払うという発想自体が希薄だった。すぐにお互いにパクっちゃうんだから、でもテレビ局同士の間では随分昔からアイデアの部分まで知的所有権として明確に認められるようになったのはほんとにここ最近のことだ。
なんと!!
これ、昔ちょこっと噂に聞いたとこがありましたが、今や世界各国で当たり前になってるようなTVの「投稿ビデオコーナー」は志村けんさんが最初に考えてやったものなんですね!
やっぱり志村けんさんってスゴイ!!
個人的には「SWITCHインタビュー達人達 志村けん×Perfume」の映像も大好きです。
もうどこまでも優しい人。
まとめ
実は努力家でまじめで緊張しぃで、そして優しい志村けんさん。
笑顔も生き方も素敵です。
いかりや長介さん最後の収録となったドリフ放送開始の登場シーンの再収録の時にドリフターズの5人が前にいるダンサーの間を抜けて前へと歩いてくるシーンで志村けんさんがいかりやさんの歩調に合わせてゆっくりと歩いていたそうです。
もう、愛ですね。
志村けんさん、これからもずっとずっと大好きです。