
こんにちは。
木々や鳥たちを愛しく眺める朝を過ごしてるNaoです。
以前にも書いた奥平亜美衣さんの著書に出会ってから色々な学びがありましたが、その中でも人生に与える影響が大きいなと感じるのが「自分の気分」。
生きていれば良いこともあれば、嫌なこともありますし、飛び上がるくらい嬉しいこともあれば、もうどうしようもないくらい悲しいこともありますよね。
こんな風に色々なことが起こるのですが、そんな中でも私たちが選択できることがあります。
他人や起こってしまったことは変えることはできませんが、自分やこれから起こることは変えることができます。
そして、これから起こることは今の自分のあり方に依るのだとすると、大事なのは「今の自分がどうあるか」に依ってきます。

ただ、放っておくと、自分の気分がその時々の感情任せになり、気分が不安定になってしまいますよね。
例えば、自分の意に合わない事には嫌な気分になりますし落ち込んだり。また、暗いニュースを見ては落ち込み1日中、それについて悶々と考えたりするかもしれません。
そういった感情にもエネルギーがあり、それぞれの感情を抱く事で自分自身が同じ質のエネルギーに包み込まれる事になります。
そして、自分の放つエネルギーは自分を包むだけでなく、同じような性質を引き付けます。

つまり、嫌な気分になれば「嫌だなぁエネルギー」に包まれ、さらに嫌だなぁと思わせる事を引き寄せて、嫌だなぁと思う事がさらに起こるようになります。
逆に言えば、ものの見方を変える事で「嫌だなぁ」を「そんなに悪くないかも」や「あ、結構いいじゃん♪」に変える事ができますよね?
「いいじゃん」と少しでも思う所を見つけたら、意識とエネルギーをそちらに集中させる事ができますし、結果的に自分自身が「いいじゃんエネルギー」に包まれ、いいじゃん♪と感じることを引き寄せます。
「嫌だなぁ」と「いいじゃん」の違いで、今の気分はもちろん、これから起こる事も変わってきます。ここまでくると、自分の人生は自分が作っているのだという事がよく分かります。

わたしは今まで、駅などで「じゃ、またね」と手を振って別れる際にサッと立ち去ってしまう人を見て、(普通、相手の姿が見えなくなるまで笑顔でバイバイして見送るんじゃないの?冷たいなぁ。。てか、寂しいなぁ。。)と思っていました。
相手の姿が見えなくなるまで笑顔でバイバイと手を振って見送る人は、相手と接する時間を最後の最後まで大切にしているんだなと感じていました。

一方、「じゃ」の「じ」の字もあるかないかのタイミングで去ってしまう人は、実は相手に対してどうでもいいと思っているのではないかと。
でも、見方を変えると、あっさり去ってしまう方は去り行くものにあまり執着してないのかもしれないし、ある意味潔く気持ちいい。
また、「あっさり去ってしまう」「寂しい」と感じている自分を客観的に見る事で、(あぁ、そうか。なんだかんだ言いながら、自分はあの人ともっと接したかったのかもしれないな)と深い所にあった自分の気持ちを知ることができることもあります。

でもまぁ、人間、嫌な事があった時はムッとすることもありますし、嫌な気分を一気にいい気分に転換!なんて事は難しい時もありますよね?
そんな時は「少しでもいい気分」になれるものの見方を探してみるといいかもしれません。
ものの見方を変えることも意識すれば少しずつできるようになりますし、習慣になればこっちのもの。
ここを意識するかしないかで、今の気分はもちれん、これから起こる事が変わってくるのですからここは大事にしたいでね(^^)